つくりびとのいえ - 高槻市の古民家を改装したシェアアトリエ「福寿舎」

福寿舎とは?

福寿舎(ふくじゅや)は、摂津之国高槻城北町に江戸時代から城下町として賑わった処で1898年(明治31年)に日本酒や元酢醸造所として建てられました。
私達はこの建物を町並みの為だけに残すだけでなく、クリエイターの共同アトリエとして活用することを考えました。
ここを拠点に人が集まり、通りを使ってイベントを行い、地域で活用し文化を高め広めることで、高槻が素敵な中核都市になって欲しいと考え、このプロジェクトをスタートさせました。

町家をリノベーションし、福寿舎プロジェクトが誕生

町家再生プロジェクトがスタートしたのは、2014年春のこと。
歴史あるこの町家を残すのか、残すにしてもどのように活用するのかと模索していました。
シェアハウスのような賃貸マンションや駐車場にする、レストランにするなどの多様な選択肢を京町家のリノベーションコンサルタントに相談しました。京都の工房にも足を運び、あらゆる可能性を模索しました。
そんな中、高槻はモノづくりをしているクリエイターが多く、工房兼店舗を求めている人たちが大勢いることを知り、「それらが点在するのではなく、一つの拠点となる共同アトリエがあれば喜ばれるのでは?」という構想を抱くようになりました。
建物は傾きが激しく傷んでいました。残すにしても耐震に問題がありました。町家は瓦屋根で重く、柱があって襖で仕切られているので揺れに弱い。木造建築の診断士に相談すると、壁を作り、小部屋を設けることで耐震性が増すとのこと。資金面も含め、ビジネスとして活用方法を検討して残すことにしました。

プロジェクトの名前は、元酢醸造所で当時の人気商品だった「福寿酢」から「福寿」の字とクリエイターや作家達の学び舎になるようにと「舎」の字を合わせ、福寿舎(ふくじゅや)と名付けました。
1階の広間はギャラリー兼入居者の交流スペースとして活用し、各部屋は「梅」「桃」「桜」など、趣きのある部屋名になっています。

高槻ブランドを創出し、継続的に発信していく

福寿舎(ふくじゅや)は、1898年築の町家を保存し、次世代につなげていくこと。
食・工芸・デザインなどの「高槻メイド・高槻ブランド」が継続的に生まれる環境を提案することをコンセプトにして、作り手たちが集まり、交流し、新しい何かを生み、発信することを目的としています。
「高槻ブランド」とは何かといえば、明確な線引きはなく、ここから発信されるものが高槻ブランドになればいいのです。
ずっとここでとどまるのではなく、入居者が入れ替わることでも活性化します。
それぞれのクリエイターが持っている世界をお互いに刺激し、才能ある漫画家が集まっていたトキワ荘のように、みんなが大きく羽ばたいてほしいと思います。
福寿舎(ふくじゅや)はクリエイターに大きな期待を寄せています。
入居審査の基準は、趣味の延長でお店をやりたいという動機ではなく、将来のビジョンをしっかりと描き、羽ばたいていける人を望んでいます。
入居者一人ひとりがコンテンツであり、その集合体が福寿舎のイメージを形作り、「高槻メイド・高槻ブランド」になって発信することができると考えています。

福寿舎発の独自イベント「福寿マルシェ」で

福寿舎発の独自イベント「福寿マルシェ」で高槻を盛り上げる

季節ごとに手作り市や音楽イベントなどを開催中。                           2014年9月からはじまった改修工事の現場を公開し、同時に見学会を兼ねたイベント「開き家(あきや)」が基となっています。リノベーションの過程を紹介しながら認知度アップを図り、入居者の募集を兼ねたユニークな試みが、福寿舎独自のイベントとして発展しました。
入居者が意見を出し合い、クリエイターがブースを開き、ワークショップなども定期的に開催。
工房にこもって創作に励むのではなく、入居者同士が協力することが、入居の条件にもなっています。入居者が意見交換し、それが創作活動のモチベーションにつながり、入居者たちだけではなく広間や軒先などを使ったイベントを通じて、街や地域と融合することで一体感が生まれます。
それが高槻の活性化につながっていくのです。
今は福寿舎と前の通りによる「点」の取り組みですが、それが「線」になり、「面」になり広がっていくことで相乗効果を生み、街や地域に賑わいが生まれていきます。
将来は個々のクリエイターの活動拠点という枠を超えて、福寿舎という建物そのものが、高槻ブランドになる日も遠いことではありません。

福寿舎の紹介動画